岡口基一の「ボ2ネタ」

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海渡雄一弁護士のご意見です

「岡口裁判官に対する弾劾裁判が始まった。問題とされているのは、基本的に過去の懲戒の際に問題とされたのと同じツイッターである。

 過去に弾劾がなされたのは、基本的に裁判官に犯罪にもあたるような非違行為があった場合である。訴追を疑問視する東京新聞の社説が公表された。今回の弾劾裁判については、メディアの発言が少ない。このなかで、意見を明確にした東京新聞を評価する。私もこの意見にほぼ賛成だ。この問題についても、北海道新聞事件について紹介したように、ヨーロッパ人権裁判所の裁判官の表現の自由がテーマとされた先例が大変参考になる。そのような先例をみていくことにしたい。
裁判官は憲法問題について意見を表明する自由がある
 ヨーロッパ人権裁判所においては、裁判官に公的な討論に加わる自由があることが自明の前提とされている 。そして、この自由は、裁判と裁判官の公平性と司法の独立性に対する市民の信頼を傷つけるような場合には制限される。
 リヒテンシュタインの高等行政裁判所の所長を務めるウィル裁判官が、憲法問題に関して公に発言したことに対する報復として、王子(Prince)によって解雇され、再任を拒否されたという事件がある。意見は、講演会の場で表明され、報道もされた。意見が政治的な内容を帯びるものであったとしても、原告(高等行政裁判所の所長)の発言は、公的機関の職員の名誉を毀損するような如何なる内容も含まれていないとして、王子による解雇と再任拒否の措置は、目的達成のための均衡を欠いており、ヨーロッパ人権裁判所は、表現の自由を定めた条約10条の違反を認めた 。
 2011年には、フランスの裁判官と検察官が、サルコジ大統領が残虐な犯罪発生は司法に責任があると発言したことに抗議してストライキを行ったことがある。また、オランダでは、2015年の裁判官による効率化対策と司法機関のさらなる地理的集中に抗議して、裁判官の表現の自由に関する問題が表面化し、裁判官は前例のない方法でこれらの動向に抗議した。彼らは裁判官が着用するローブを着て街頭で演説し、短いストライキを要求し、報道陣と話し、Twitterを通じて重要なメッセージを送った 。
自己の担当した事件について公にコメントした場合も、事案によっては許される場合がある(ロシアの例)
 裁判官の表現の自由に対する制限が認められるかどうかは、それぞれのケースの具体的な状況、その裁判官が所属する裁判所、対象とされる表現の文脈、罰則の程度などを総合的に考慮しなければならないとされている。
 次に紹介するのはロシアのクデシュキナ判事に関する判例である 。クデシュキナ判事はモスクワ市裁判所で警察官の汚職事件について審理を担当していた。手続きの途上で、彼女は事件の担当から突然外された。彼女は自分の職務上の理由はないとしているが、国側は、彼女が審理を遅延させていたと主張した。その数カ月後、彼女はメディアのインタビューに答え、事件の担当中に、市裁判所の所長から圧力をかけられていたことを明かし、このような事態はロシアの司法における、権力操作のより広汎なパターンに合致していると論評した。そして、彼女は、解雇されてしまったのである。
 ヨーロッパ人権裁判所は、クデシュキナ判事の取り上げた問題は公益に関連し、彼女のインタビューにおける発言の一部に一般化や誇張が認められるとしても、公平なコメントといえると判断した。そして、クデシュキナ判事に課せられた懲戒処置は、公的な討論に参加しようとする裁判官に対する萎縮効果をもたらすことを指摘し、ヨーロッパ人権条約10条違反を認定したのである。
司法の独立の危機的な状況においては、裁判官はこれと闘う表現の自由を持つだけでなく、これを闘う義務を負う(ハンガリーの例)
 最後に、ハンガリーのバカ判事に関する事件である 。この事件の原告であるバカ判事は、なんとハンガリー最高裁判所の長官であり、1991年から2008年までヨーロッパ人権裁判所の判事を務めた方である。バカ判事は2009年にハンガリ-国会によって、最高裁判所長官に任命され、任期は2015年までの6年と定められた。長官として、バカ判事は行政上と司法上の任務を遂行し、その任務の一環として政府によって提案された司法制度の改革についての意見も述べた。
 2011年4月議会は、ハンガリー基本法を採択した。この憲法は、多くの人権制限条項を含み、市民団体だけでなく、国連やEUと欧州議会、ヨーロッパ評議会、ヴェニス委員会(ヨーロッパ評議会のもとに設置された法の支配の確立のための独立組織)、ドイツ政府などから危惧の念が表明された。また、この改革案には、裁判官の定年を70歳から62歳に切り下げるなど司法に関わる重大な規定を含んでいた。
 バカ判事は、判事の定年年齢引き下げを含む、この憲法案のいくつかの問題点について、公に意見を表明した。そして、憲法は、新たな最高裁判所として「クリア(Kuria)」の設立を決め、その裁判官の要件は、最初からバカ判事には当てはまらないように操作され、そして、クリアの設立に伴って、最高裁判所は廃止されたとして、バカ判事は失職してしまったのである。ヨーロッパ人権裁判所は、ハンガリー政府のこのような措置は、ヨーロッパ人権条約6条1項(独立した裁判所で公正な裁判を受ける権利)と10条に違反することを認定した。
 裁判所は、バカ判事の任期は憲法原則に基礎を置くもので、バカ判事を最高裁長官から放逐した措置が、バカ判事の表明した意見に対する報復であることをうかがわせる事実上の証拠があると認定し、同判事の表現の自由が侵害されたと認定した。
 ヨーロッパ人権裁判所は、バカ判事がこのような意見を述べたことは、権利の行使であるだけでなく、司法の公平性を維持するための義務でもあったと述べている点が注目される(パラグラフ168)。
 この判決は、政府によって司法と裁判官の独立性が侵害されようとしている場合には、裁判官にはこれと闘う権利があり、同時に闘う義務があることを示している。司法制度が崩壊の危機に直面しているような状況では、一人一人の裁判官は、政府と対決してでも、司法の独立と裁判官の独立を守るために闘わなければならないことを、このヨーロッパ人権裁判所の判決は示している。
岡口裁判官の行為は、全く自由な個人的な意見表明である
 このように、ヨーロッパ人権裁判所の判例法は、裁判官が公に裁判官の肩書で発言するとき、とりわけ自らの担当事件について発言するには、適度の抑制が求められるが、市民としての発言にはそのような抑制は求められないことを示している。
 たとえば、その裁判官が当該事件を担当する可能性のある場合に、現に継続中の具体的事件に関して意見表明したような場合には懲戒されることは認められている 。しかし、そのような裁判官の公平性について市民の具体的な疑念を抱かせるような場合でなければ、広く裁判官に対して市民的な自由が保障されるべきであるとされているのである。個人的な意見表明は原則として自由なのだ。
個性を持った裁判官からなる司法こそが政府からの独立を守ることができる
 岡口さんに対する弾劾裁判では、裁判官が個人として行っているこのような些細な表現行為、そして裁判官がツイッターをしたことそのものに対して、訴追がなされているように見える。このことは、日本の司法に対して、どんなインパクトを持つだろうか。
 私は、このことによって、これまでも、ただでさえ、自由に発言することのなくなっている日本の裁判官が、ますます口を閉ざし、市民とはかけ離れた閉鎖的な環境の中に閉塞してしまうことになることを深く恐れる。
 ロシアやハンガリーの裁判官が直面している司法の危機は日本と無縁なことだろうか。安倍政権は、最高裁判事の任命についてまで圧力を強めているように見えた。このような人事を裏で指揮していたのは菅官房長官と指摘されている。そして、いま、菅政権は憲法改正を打ち出そうとしている。そこでは憲法9条だけでなく、国家緊急権条項や表現の自由の制約なども議論の対象とされる可能性がある。
 私たちの国、日本はほんの70年ほど前には軍隊の横暴の前に、司法・裁判官もひれ伏すような暗黒の時代を経験した。しかし、このような暗黒の時代にあっても、日本の裁判官にはナチスドイツの下の裁判官(ヘルムート・オルトナー著『ヒトラーの裁判官 フライスラー』2017 白水社 参照)に比べれば、勇気ある裁判官がいたといえる。日本の裁判所は、治安維持法に関する起訴事件の大半について有罪判決を下し、治安維持法違反事件の弁護活動を理由に、布施辰治弁護士の弁護士資格を剥奪したが、他方で、人民戦線事件(1944年9月2日控訴院判決)と大本教事件(1942年7月31日大阪控訴院 高野綱雄裁判長)などの極めて重要な事件では無罪判決を下している。戦時体制の下であっても、裁判官として司法の独立を守ろうとした少数の勇気ある裁判官がいたことは特筆されるべきである。
 また、太平洋戦争の最中に実施された大政翼賛選挙が選挙法に反し、無効と宣告した大審院判決もある。1942年4月30日投開票の第21回衆議院議員選挙の鹿児島2区で、翼賛議員同盟非推薦候補として出馬し、落選した冨吉榮二は選挙において推薦議員を当選させるため政府と軍による選挙干渉と非推薦議員の選挙活動に対する激しい妨害が行われたとして、選挙無効の訴訟を提起した。
 戦争末期の1945年3月1日に大審院第3民事部(吉田久裁判長)は推薦候補者を当選させようとする不法な選挙運動が全般かつ組織的に行われた事実を認定し、自由で公正な選挙を保障した衆議院議員選挙法第82条違反を認め、選挙の無効とそのやり直しを命じた。この判決を受け、3月20日には鹿児島2区においてやり直し選挙が現実に行われている。
 2012年以降安倍・菅政権が繰り返してきた、特定秘密保護法集団的自衛権の行使を認めた平和安全法制、共謀罪規定を含む組織犯罪処罰法の改正、検察の独立性を奪うための検察庁法改正(市民の反対で廃案になったが)、デジタル監視法、土地規制法などの憲法違反が疑われる立法について、現代の日本の裁判官は、司法の独立を守りながら、正しい判断ができるだろうか。岡口裁判官は、このような政府の暴走についても、個人的な見解を表明してきた。
 自らの市民的自由が保障されている環境でなければ、裁判官が市民の人権を保障する判決を書くことは困難である。裁判官が、臆することなく、憲法と良心だけに従って真に独立して裁判を行えることと、自らの信ずることを自由に発言できることとは、実は表裏の関係にあるのである。
 司法の危機の時代においては、一人一人の裁判官が黙り込んでしまうのではなく、司法の守り手として言うべきことについて発言を続ける覚悟を持つことが問われている。そのような個性を持った人々の集合としての司法こそが、政府からの独立性を確保し、政府の暴走を止めることができるのだ。」

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